合格への道標

板書って意味あるの?

テキストも無い、カメラも無い昔ならいざ知らず、現代においてただ写すだけの板書に意味はありません。(もうそれは写経です)
それどころか、とてつもない弊害があります。

授業を集中して聞いていない。考えることに集中していない。

からです。
きっちり板書した子供のノートを見て(単に板書したのか、或いは自分で考えて書いたのかは見ればある程度分かります)
「この線はどういう意味?」
「何故ここはこうなってるの?」
など尋ねてみると、かなりの確率で
「分からない。」
と返ってきます。

もうこれは本末転倒です。。
そういう子にははっきり
「板書はするな!板書するひまがあったらしっかり授業を聞け!!」
と伝えます。(決して怒って言ったりはしませんので。笑)

ノートは、自分に向けてのヒントを書くものです。
あるいは自分の考えを整理するために書くものです。
人に見せるためのものではありませんし、ましてや〈完成させる作品〉などではありません。
あくまで考えるための〈手段〉です。
ノートをきれいに書く必要もありません。(ただし、後から見て最低限本人が分かるようには書かないと意味はありません)

写経ノート制作が目的化してしまって、本来の目的である〈考えること〉がどこかへ行ってしまっている子が多く見受けられるので、ちょっと書いてみました。

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