新しい子の指導を始めるときの非常によくあるパターンとして、開始数分で次の疑問が沸きます。
「なぜこの子はこのクラスにいるんだろう?もっと上でしょ?」
子供の能力、ポテンシャルは、数分指導すればほぼ把握できます。
だからこそ、その子の現在のクラスを聞いて愕然とするのです。
そして更に指導を続けると、その理由が一つ一つ明らかになってきます。
しかしそれらの理由は殆どいつも同じパターンです。
あまりにもこの現象が多いので、そのパターンを該当者が多い順にあげてみようと思います。
1. とにかくミスが大量
実力が結果に反映されない子に圧倒的に共通する理由がこれです。
しかも、それを「ミスだからしょうがない(どうしようもない)」「次は気を付ける」というレベルで殆ど放置しているということです。
ミスにはちゃんと理由があり、ちゃんと分析と対策をすればほぼ解決できるものです。
(人間なのでミスを完全に0にはできませんが、ほぼ0に近づけることはできますし、しなければなりません)
※これに関しては、【百戦危うからず(ミスとの戦い)】に対策を掲載しています。
2. 一つの解法に固執
中学受験の算数特有のものとして、特に文章題では様々な独特の解法が生み出されました。
ただ、それらの解法のどれを使うかは、塾や指導者によってまちまちな面があります。
しかし、教わる方(子供)にとっては、最初に教わった解法こそ唯一のものと思うでしょう。
その解法が最初からハマればそれは幸運なことですが、問題がどんどん複雑化、難化してからも最適なツールでいてくれる保証はありません。
また、最初になかなか意味や使い方を理解できない解法に当たってしまうと、それが原因で算数そのものを実際以上に難しく感じたり、嫌いにもなってしまいます。
これは、ある意味バカバカしいことです。
解法とは、算数の[ルール]などではなく、誰かが作り出した[方法]にすぎません。
しっくりこない方法は、もっと良いものにアップデートすれば良いだけのことです。
例えば、昔から重宝されてきた解法に『面積図』があります。
今でも『面積図』でうまく解決できる問題もありますが、多く(特に食塩水の応用)は『てんびん』の解法に軍配が上がります。
『面積図』が難しい、分からないという子には、さっさと『てんびん』を教えてあげれば良いだけです。
いや、『面積図』が良いという子でも、入試レベルになると途端に壁にぶつかることが多いので、早めに『てんびん』の意味と意義を教えることが指導者の役目とも感じます。
このように、解法次第で解決の難易度は劇的に変わること、一つの解法に縛られる理由など全く無いこと、更には複数の解法を持つことが柔軟な思考を育て、本番でも余裕を生み出すことをいち早く納得しておくべきと思います。
3. 不必要な難問に大量の労力と時間と自信を奪われている
塾にはカリキュラムがあり、クラスがあります。
カリキュラムは、塾の経験と分析を駆使して[最大効率]を生み出す計画そのものです。
ただ、その[効率]とは、同じテキストでの一斉授業という最小限の労力によって、何十、何百人もの生徒の中の何人がトップ校に合格できるかという[人数の割合]に対する効率のことです。一人一人の学習効果に対しての効率ではありません。
例えるなら劇薬の『総合感冒薬』のようなものです。一人一人への処方箋による薬でありません。
そうなると、一人一人にとっては実は必要ないものまでたくさん含まれています。
それこそがここで言う『不必要な難問』です。
そんな効果の無い(いや、労力と時間と自信を削ぐ深刻な副作用のある)難問に苦労しているという訴えを、最初に多く受けます。
その苦労自体の多くが実は必要のないものだということを、私達は子供や保護者の方と一緒に慎重に見極めていくことになります。